厭世観からの脱出
2022.05.09
ふと思い立って、旧友のごく数人をTwitterでフォローさせて頂いた。
皆の近況も気になるし、やはり人との縁を大事にしてこそ人生は楽しいのだろうと思い直したからだ。
以前の名前でTwitterを僕がをやめてから年月が経過したことだし、自らの振り返りのためにも、公開して差し支えない範囲で綴っておこうと思う。
端的にいえば人間関係トラブルだったわけだけれど、それが起きるには、もちろん僕にも相当の問題があった。
最初は同世代や昔ながらのインターネットユーザーによる遊び場のような雰囲気で、多少の偏ったことや無教養もどこか許される気配があった。
あるいは今でもそういったグループ内であれば問題ないのかもしれない。(それが時折炎上の種になるのだけれど)
徐々に過去の自分の発言の幼稚さや醜さが気になるようになっていった。自らの浅はかさを誰かから責められるのではないかという恐れを覚えた。
さらには、さまざまな活動を精力的にTwitter上で発信する人たちが増えてくることによって、嫉妬にも蝕まれることになった。
友人の勧めもあり、数年は隠遁して大人しくすることを決めた。
その後、ネットではない対面での人との出会いや会話、浅いながらも哲学の初歩を学び、徐々に自分自身を再認識・再構築していった。
僕の読書速度やムラのある集中力では、古今東西の哲学書を多く読むことは難しかったが、イースト・プレス社のまんがで読破シリーズや、Youtuberのアバタロー氏のような、要点を抑えた情報にあたることで、僕なりに人生観を見直すことが出来たと思う。
中でも僕に響いたのは、古代ギリシャの哲学(プラトンやアリストテレス)、アランの幸福論、ラッセンの幸福論、マイケル・サンデル、ユヴァル・ノア・ハラリ、といった辺りだった。
また、キリスト教における7つの大罪は良い指針で、時折これを参考にすることで道を踏み外すことが減ったように思う。(※入信したわけではないです)
こうして世界の見方が変化した結果、世界に対する嫌気が徐々に晴れていき、世界の存在そのものについて肯定できるようになった。
今の自分ならば、同じ失敗はしないだろう。