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『三体』読了およびラノベリオンこと涼宮ハルヒシリーズの回想

2022.01.12

僕は高校生の終わりくらいからのSFファンなのだけれど、大学を卒業し仕事を始めてからはあまりSF小説を読めていなかった。

そんな中、中国のSF小説である『三体』シリーズが数々の著名な賞を受賞しているという話があちこちから聞こえてきた。
読書にはリハビリが必要なのか、第一シリーズを読むのには足かけ半年ほどを費やしてしまったのだが、2021年末からは週に1冊ほどのペースで、あっという間に三体(地球往時)三部作を読み終えてしまった。

邦訳版の後書きや解説において著名なSF作家の方々が書いている通り、これまでのSFへのオマージュやリスペクトに富みつつも、単にそれらをなぞることに終始しない、名作だ。

さて、それを踏まえて感じたのは、これは『ハイペリオン』の再来でもあると言うことだった。
『ハイペリオン』の発表は今から30年以上前であり、ちょうど「一世代」前という感じがする。
ハイペリオンは、当時のSFの面白いところをまとめたような作品で、SFというものが肌に合うかの試金石として、最初に読むSFとしてオススメされる作品の一つだったように記憶している。

日本のオタク層にとっては『涼宮ハルヒの憂鬱』において登場キャラクターの長門有希が作中で読んでいたことなどから、影響を受けた作品としても知られている。
「ハイペリオンがSFの詰め合わせのような作品だったのに対し、涼宮ハルヒの憂鬱はライトノベルにおける同様のことをした、いわば"ラノベリオン"である」というような要旨をどこかで読んだのが印象深い。
個人的には涼宮ハルヒシリーズは日本におけるSFの普及に一役買ったと思っていて「長門有希の100選」のような動きも、単なる商業主義を超えた意義のあることだったと考えている。

ならば、三体に影響を受けつつカジュアルながら示唆に富んだ、SFへの入り口になるような作品が今後登場してくるだろうと考えるのは、自然なことではないだろうか。
時代の変化もあるので、それはもしかするとライトノベルではなく、ゲームやアニメ、あるいはVR上の体験型コンテンツというようなものかもしれないが、僕はその到来が待ち遠しい。

『三体』作中には異星文明と接触すればただそれだけで文明は飛躍的な成長を遂げるという観念が登場するが、まさにこの『三体』という作品自体が三体文明に匹敵するインパクトを人類に与えるかもしれない。
そう思わされるほどに、三体のエネルギーは凄まじく、これがヒットする中国SF界の力強さについても、解説などにおける各国でのSF会の様子から、間接的ながら感じられた。
また、本格的なSFが市場でも高く評価されうるということは、SFファンとしてはとても嬉しいことだ。
昨今は僕も毒されていた「SFは融けた」であるとか「SFは終わった」であるとか「オタク・イズ・デッド」であるとか言ったことは、日本に閉じてものを見ているから感じることでしかないのかもしれない。

本当に面白いと思うものを力強く好きであり続けることの意義を感じた、久々の読書体験だった。


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